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普通の子供がいる人妻や熟女がAV女優としてデビューしたきっかけ

熟女の母性を求めて熟女AVにハマる男性が最近増えています。ただ出演する熟女は普通の子供がいる人妻だったり熟女だったりしますが、彼女たちがAV女優としてデビューしたきっかけは何なのでしょうか?セックスレスや経済的な問題も大きいようです。

どこから見ても、どこにでもいそうな主婦。私の外見を形容するのに、これほどピッタリくる言葉はないように思います。パーマや地味目のスカートはいわゆるオバサン以外の何物でもありませんし、たるんだバストや出っ張ったお腹は、確かに子供を3人も生んだ後のソレと言えましょう。そんな私が夫との別居を経て、3人の子供を育てられている理由を今から話してみようと思います。
いくら不況とはいえ、40才過ぎのオバサンでもここまでやれるんだということがわかっていただければ幸いです。

私は3兄弟の末っ子として、東京のとある下町で生まれました。ごくフツウのサラリーマン家庭で育ったせいか、平穏な幼少期だったように思います。ただ、ひとつだけ、誰にも言えないあの体験を除いては。小学校6年のときです。当時は母親も仕事をしており、たびたび私1人で留守番することがありました。
ある日、家のカギを開けようとしてフト振り返ると、スーツを着た営業マン風の男が後ろに立ち道をたずねてきました。
「おうちの人、誰もいないの?」
「ウン、ひとり-」
確かそうまえたような気がします。その男、小ざっばりした銀行マン風だったせいか、私の方も別段怪しんだりはしませんでした。ところが。
「じゃちょっといいかな…」
彼はそばに近寄ったかと思えば、おもむろに私の顔をベロベロと紙め始めるではありませんか。キスと呼ぶにはあまりに特異な行為に一瞬、何が起こったのか理解できないでいると、そのうち男はそそくさと去って行きました。

かえって胸やオシリなどを触られるのならイタズラとして親に泣きついたり、警察に届けたりできようものですが、私は誰にも言えませんでした。ただ1人、ザラリとした男の舌の感触を思い出しては身震いし、悔し泣きしていたのです。この出来事が後の男性観、ひいてはセックス観にどのような影響を及ぼしたかはわかりません。ただ、学生でこんな体験をしてしまえば、普通なら男性不審に陥ってしまいそうなものですが、私の場合は違っていました。

地元の商業高校に入って間もないころのこと。
「明日遊びにでもいこか」
ある日、シゲさんという近所のオニーサンが学校帰りの私に声をかけてきました。
「でもシゲさん、奥さんだっているじゃない」
「ああ、気にしないで。夕方まで付き合ってよ」
「うん、いいわよ」
妻子持ちとはいえ彼の誘いをあっさり受け入れてしまったのは、顔馴染みという安心感ゆえのことだったと思います。朝に出発した私たちは、池袋で昼ゴハンを食べ、夕方、新宿のゴーゴー喫茶へ入りました。ゴーゴー喫茶とは、流行りのヒット曲が流れる若者向けの喫茶店のこと。今で言うディスコやクラブのようなものです。

「これ、味見してみる?」
周りの客をボーッと見ていると、シゲさんがグラスを差し出しました。コーラのようなその飲みモノを2口、3口と飲んでいると、だんだん気持ちが軽くなっていくような。結局、その後彼に連れられてホテルへと入ってしまうわけですが、16才という当時にしては異例の早さで初体験を済ませた私は、それからというもの、タガが外れたように遊び始めました。
週末ともなれば必ずディスコやゴーゴー喫茶へ行き、好みのタイプが声をかけてきたら付いていくという日々。そのたびに朝帰りして親に叱られていた私は、近所でも相当遊び人に見られていたのかもしれません。ディスコで知り合い、一夜をともにした男はざっと数えても100人近くはいたんじゃないでしょうか。そう、私はヤリマンだったのです。当時、私には近所の飲み屋で知り合った6才年上の彼氏がいました。優しい性格に惹かれ、いつしか結婚を意識、約1年あまりの交際期間を経てゴールインしました。23才のときでした。
主人は、とある総合メーカーの営業マン。結婚した翌年には長男ができ、その2年後には長女が、そのまた3年後には次女が生まれました。子供が3人もできれば家計が苦しくなるのは当然です。幸い、最初の10年間は好景気にも助けられ、主人一人の稼ぎでも人並みに生活できたのですが、バブルが崩壊したころからだんだん雲行きが怪しくなりました。会社の業績が傾き始め、好調時は45万あった給料がジワジワと減ってきたのです。
主人のグチや八つ当たりが増え出したのもこのころです。ヤケ酒で泥酔して帰ってくる日も少なくありませんでした。ただ、それならそれで共働きという選択を取るのが賢明な道でしょう。しかし、主人にそんな論理は通用しませんでした。
「オマエは家にいるのがいちばんなんだ」
何度話し合おうが、最後はこの一言でオシマイ。そればかりか、高校の同窓会すら出席させてもらえず、いつしか旧友の誘いの電話すら来なくなる始末です。夫婦仲が悪くなるのは当然の流れで、セックスはもちろん、そのうちマトモな会話すらしなくなるほどに。悪酔いして帰宅しては物まで投げ出して当たり散らす夫を、私と子供たちは完全に無視していました。
夫婦生活の終罵はあっけなく訪れました。平成9年、夏の夕暮れ時、買い物から帰宅すると、主人が台所で包丁を持って立っていたのです。「入ってきたら、刺すぞ。刺してオレも死ぬ!」

とうとう来るところまで来てしまったんだな、と思いました。毎晩のヤケ酒は彼の正常な判断力まで奪ってしまっていたのです。夫の穏和な性格から言って、まずそんな度胸はないのですが、といってこちらの身の安全を誰が保証してくれましょうか。
私が子供を連れ、一目散に近くの実家へ避難したのはその晩のことでした。コブつきで出戻った私を、実家のオジイちゃんオバアちゃんはイヤな顔ひとつせずに迎えてくれましたが、イイ年こいて迷惑をかけ続けるのも気がひけます。
そこで私は、親から借りた金で近くに家賃8万円、2DKのアパ-トを借り、そこに4人で暮らすことにしました。本当の勝負はそれからです。アパートの家賃と子供3人。これ、どう見てもスーパーのパートくらいじゃやっていけるわけがありません。思い切って保険の外交員でもやってみようかと考えましたが、知識も経験もない私にはムリ。となれば、やはり残された道は水商売…。いやいや、これだけはやりたくありません。母親が夜働きに出たばかりに子供がグレ始めたなんて家庭は周りに腐るほどあります。昼間働いて水商売と同じ額の金を稼ぐ。こんなムシのいい商売はないものでしょうか。

そんなとき、私は行きつけのコンビニで「女性専門の求人雑誌」をたまたま手に取りました。中に載っていたのは、その大半がツーショットやキャバクラ、ファッションヘルスの求人広告。思い返すに、よほど切羽詰まった状況だったのでしょう。最初はシャレのつもりで眺めていたものの、その高時給に目が釘付けになり、しまいには「この中でどれを選ぶか」とまで考え始めていたのですから。中でも、私の目をひいたのがコレ。
「ビデオモデル、年齢不問、随時募集中」
いくら世間の流れにはうとい私でも、それがAVや成人誌のモデルの仕事であることはなんとなく想像がつきました。なぜ、エッチ系のモデルなのか。消去法で考えていくと、AVの仕事がいちばんラクでワリがよさそうに思えたのです。載っていたプロダクションに電話をかけてみると、鋤才くらいの男性が出て「すぐにでも会えないか」と言ってきました。後ろめたく「39才ですけど」と言う私に、少しのためらいも見せずに、男はしつこくアポを取ろうとします。
「とりあえずカメラテストも兼ねてナンパした風に撮りたいんですよ。ギャラも払いますから」
要するにこれ、カラミの撮影という意味。
「…わかりました」
2時間後、池袋の喫茶店にやってきたのは、石田と名乗るカメラマン兼監督1人。10分ほどの雑談の後、彼は慣れた手つきでビデオをこちら側に向けながら質問してきました。
「じゃあ質問しますからテキトーに答えてください」
「ハイ…」
「いくつなの」
「39才です」
「今まで何人ぐらい男と付き合ったの?」
「付き合ったのは20人くらい」
「エッチしたのは?」
「150人はいってますね」
こんなとき、私は上手なウソをつける女じゃありません。ま、正直に答えてこの数字なんですからウソを言う必要もないのですが。やがて店を出た石田と私は、飲屋街を抜け、ホテル街へ。そのう
ちの1軒に入ると妙に気分が落ち着きました。さっきまで町中でカメラを向けられながら「どんなエッチが好きなの?.」なんて質問をしつこく聞かれていたものですから、人目が気になってしょうがなかったのです。
すぐにシャワー浴び、ベッドで横になり、愛撫をし、フェラチオを経てインサートへ。ハメ撮りとはいえ、監督も慣れていたし、1対1のごくごく普通のセックスだったせいか、さしたる緊張も覚えなかったように思います。
「今度はメイクさんも付けますから。もっと女優さんっぽくなりますよ」監督はそう言うと、3万円のギャラを手渡してくれました。そのときの私には高いのか低いのかわからない額でしたが、自宅に帰って子供の夕食を作っているときに
「ハダカで稼いだ」という実感がふつふつと湧いてきました。
監督から電話があったのはその数日後のこと。

「次の撮影、2週間後。大丈夫ですよねえ?」
断る理由はありません。当日の午後1時、私は新大久保のラブホテルヘ向かいました。205号室で私を待っていたのは、石田監督以下スタッフ5人。みな、機材や照明のセッティングでせわしなさそうに動いています。
「あのメイクさんは…」
「いませんよ。そのお化粧でバッチリつすから。もう目然体がいちばん!」
まったく、AV業界の人間はなんていい加減なんでしょうか。
「じゃ今日のお相手はあちらね」
監督の指さした方を見やると、ソファに2人の男が座っていました。どうも1人が金髪だと思ったら…。
「彼、アメリカ人だから。結構、テクニシャンだよ」
もちろん、事前には聞かされていませんが、かといってここまで来て帰るわけにもいきません。
「用意いいですかあ?じゃあ3人でヨロシクね」
いくら150人の男を食ってきた私とて、外人、3P、しかも人前という初物づくしに体は震えるばかり。まず日本人男優とディープキスをしている間、外人がバストを攻め、徐々に日本人が上半身、外人が下半仏身へと移行していきました。
「次のカット、行きます」
監督の声で、今度は真ん中に私をひざまずかせて、両側に立った2人のペニスをほおばるという格好に。話によればこのカット、3Pのお約束らしいのですが、赤黒くて堅い1本とやたら白くてブニ
ュブニュしているもう1本の肉棒は、さながら近くのスーパーでよく安売りしているシャウエッセン&フランクフルトのソーセージを思い起こさせました。そして、いよいよ挿入シーン。と、ここでいきなり日本人男優の方が正常位で被さってきました。
「あうっ・・・」
思わず声を上げてしまいましたが、なんでしょう、ちつに伝わるこの妙なザラザラした感触は。そうです、こともあろうかこの男優、生でハメていたのです。しかし、ここで「聞いてない」と拒否するほどの勇気は私にはありませんでした。
フィニッシュは顔射。これも初めての体験でしたがスタッフに囲まれながらのカラミという緊張の中でも、それなりに感じてしまった私にとってはごくごく自然の流れのようにすら受け取れました。
「じゃあ最後、シッコ撮ってまいちゃおうか」
もう聞いてないことだらけ。しかし、監督の指示どおり、素直にトイレで股を開きジャージャーしてしまうのも、男優たちのシッコを頭からかぶってしまうのも、私の性分だからできたことな
のかもしれません。
「今日はホント、おつかれさん。ウチ、ギャラ安いんだけど」
受け取った封筒の中には1万円札が5枚入っていました。
3度目の現場も新大久保のラブホテルでした。
相手の男優は25、26才くらいの男の子。私が母親役としてセックスの手ほどきをするという内容です。娘の学校ではPTAの役員まで務める私が何をやってんだかとは思いましたが、このセリフ回しというのがやってみると意外に難しく、一筋縄ではいきません。
「お母さん、ボクのオチンチン、大きくなっちゃった」
「見せてごらんなさい(とそのままフェラチオ)」
「ああダメだよ」
「お母さんのも触ってみなさい。ホラここ」
「つつわぁ、ビショビショだあ」
文章にするとコレほどマヌケなモノはありませんが、演じている私も吹き出しそうになるほど現場はもっとマヌケでした。逆に考えれば、こちらにもそこまで自分を客観視できる余裕が生まれていた
とも言えるでしょう。
その後、1対1のカラミを経て、最後は予期せぬ中出し。生ぬるい精液がアソコから出てきたときはもうどうにでもなれと思いましたが、男優の性格がよかったし、前回とは比べモノにならないくらいなごやかな雰囲気の現場だったので、あまり怒る気にはなれませんでした。
今回もギャラは5万円。ここまで体を張っているのに、いくらなんでも少なすぎるというものでしょう。私は翌日にはさっそく女性専門求人誌を買い、違うプロダクションに電話をかけて登録を願い出ました。仕事は思いの外、早く回ってきました。4度目の現場は、女優が総勢4人、対して男優4人の人妻乱交モノ。女の年齢は私が一番年長者です。流れ的には、メインの男優が全員の女優をレ〇プ風に襲っていき、最後に私が相手をするという内容。
が、さすがのプロとはいえ、男優もいろんな女の相手をしているともうクタクタで、最後の最後に私がスキンも付けずに乗っかってしまったときはどっちが犯しているのかわからないような画になってしまいました。
初めて潮吹きを経験したのもこのときです。男優の指遣いにうっとりしていると「おおっ、今潮吹いたよ。見た見た?」と男優がカメラに向かって興奮気味に叫んでいるではありませんか。ピュッピユッと自分のアソコから吹き出る液体を見たときには何とも不思議な気がしました。これで10万のギャラが出たのですからもう言うことはありません。
一方では、AVならではのシビアな現場も味わいました。ロケ地は山梨の山奥。「田舎のオバサンが若い頃、男に犯されたのを思い出してオナニーにふける」というもので、わざわざモンペまで着せられた私は小さな農道で一人悶えました。
が、いくら人気のない土地とはいえ、内心はヒヤヒヤ。ついでに草むらでのレ〇プシーンも撮影したのですが、男優はまたしても生&中出しでフィニッシュしてしまったのです。
私の場合、どういうワケか毎回こうなのです。生理が「上がった」と見られていたのならこれほど失礼な話もありませんが、なんせ断るに断れない性格。不本意ながらも、私は気が付けば「中出しも含めてすべてOK」という、実に間口の広い熟女女優として関係者の間では知れ渡っていたのでした。
今まで10本以上のビデオに出させてもらったのも、こんな私の性格ゆえだったのではと思っています。
AVと平行して、エロ雑誌のモデルをやり始めたのは、今から1年ほど前のことです。熟女系のエロ本を出している出版社に直接、電話で売り込んだら、何社からか声がかかったのです。
ただ、AVに比べてこちらの方はなんとラクなことか。ポーズだけつければ、それでオシマイ。カメラマンと1対1の撮影ならノリで本番までいってしまうこともありましたが、それぐらいならラク
ショーです。某出版社のカメラマンが私の自宅にまで来てハメ撮り写真を撮ったこともあります。
子供が学校に出かけた直後を狙い、午前中の1時間ぐらいで慌てて撮影。碓かこのときも逆に興奮してしまい、思わず騎乗位でインサートしたのを覚えています。エロ本の1回の撮影でいただく
ギャラは本番ナシで3万5千円、アリでも5万ほどでしょうか。
ただ、これだけの仕事で十分に子供を食わせてあげられるほど、世の中アマクありません。実際、AVや雑誌のモデルで得た数十万のお金もほんのわずかなうちに消えてしまいました。では、いったい何で稼げばいいのやら…と思案に暮れるまでもなく、腹は決まっていました。実は私、夫と別居するまで伝言ダイヤルで知り合った男とホテルへ行ったことが過去に5回ほどあるのです。
当時はさして経済的にも困っていなかったせいか、援助なんて考えもせずに遊びまくっているだけでしたが、今は状況が違います。
こっちは生活が、自分と子供の生活がかかっているのです。それなら、少しばかり男性からお金をもらってもいいでしょう。世代的に「売春」の2文字に抵抗感を覚える身としては、そんな言い訳がどうしても必要でした。さっそく久しぶりにフリーダイヤルに電話、オープン伝言板にメッセージを吹き込みました。
「41才の主婦です。少しポッチャリしてますが、割り切った関係でお会いしてくださる男性の方、メッセージをお待ちしてます」
気の利いた言い回しが思いつかなかった分、心をこめて丁寧に吹き込みました。にしても、こんなオバサンにお金を出して援助する人がいるのかと思う方もいらっしゃるでしょう。いるんですよね、これが。

しかもやってくるのはどういうわけか、同年代よりサラリーマンや学生みたいな人ばかり。1人2〜3万いただいても、定収入で20万を得るのはそう難しいことじゃありませんでした。
伝言以外にも援助相手を見つける手だてはあります。それは、男女交際誌。書店でビニールに包んで売られているようなあの小冊子です。あんなモノ誰がと私も思っていましたが、試しに「経済的に力になれる人(援助交際という言葉は不可)」なんてプロフィールを送ってみると、返事が来るわ来るわ。その中から安心できそうなタイプを選び即待ち合わせて臨時収入を得ることも少なくありません。

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