
朝の通勤電車。つり革に捕まり週刊誌を読んでいると、決まって2つ隣の駅から1人の女性が乗り込んでくる。
彼女のことは何一つ知らない。
名前や年齢もわからなければ、外見からも、社会人なのか学生なのかさえ判断がつかない。いつ
も自分の方が先に下車するため、目的地がどこなのかも不明だ。
わかっているのはたった二つ。
平日の朝、必ず同じ時間に同じ車両を利用することと、美しい容姿の持ち主であることだけだ。
普段、何をしてるコなんだろう。彼氏はいるんだろうか。きっといるんだろうな。世間の男があんなカワイイ子を放っておくワケないもの。それでもいいから、仲良くなりたいなぁ。思い切って話しかけてみるか。いやでも・・・
なんてことを考えているうちに、電車は目的の駅に到着。結局、今日も決心がつかぬまま、とぼとぼと職場に
以上、私、雑誌編集者の若林が、ここ1年間ずっと気にかけ、思い悩んでいる事柄の内容だ。
恐らくや、皆さんの中にもいま現在、あるいは過去において、俺と同様の経験をお持ちの方は少なくないだろう。そしてその大半は、これまた俺と同じく、今日まで何もアクションを起こさず、いたずらに悶々とした日々を送ってきたのではなかろうか。
いくら存在が気になるとはいえ、熱烈に恋をしているわけではない。あくまで興味関心のレベルであり、だからこそ積極的にもなれない。毎日顔を合わせる相手だけに、気まずい展開を避けようとするのはごく普通の心理のはずだ。
今回、俺が勇気を振り絞って彼女に近づこうと考えたのは、単に裏モノ編集部に依頼されたから、という理由だけではない。
電車で気になる女性といかに仲良くなるか。その方法を探るため、身をもって実験台となり、全国にあたまいるであろう同志諸君のお役に立てれば、との願いも胸に秘めている。
その点を踏まえ、今回のチャレンジはあえて目標を高く設定しておきたい。単に友だちになるとか、メル友になるとか、そんなヌルイものではなく、目指すはあくまでセックス。もしダメでも、今後そういう雰囲気に持っていけそうな関係にまで発展させる。
さて、どうなるものやら。
駅から時●分発の電車に乗り込んだ俺は、目立たぬよう2両目の車両で彼女の出現を待った。
時@分、高田馬場駅。予定どおり、先頭車両に彼女が乗車。
壁に背をもたれながら、ファッション誌を開いている。う-ん。
こうやってまじまじ見ると、改めて可愛いつすな。
いったい、彼女はどの駅で降りるのか。本日、職場には取材に出かけると伝えてあるので、時間はたっぷりある。とことん付き合ってやろうじゃないの。
まもなく、電車は俺の勤務先のある飯田橋駅を通過し、そのすぐ隣の九段下駅に停車した。
雑誌を素早くカバンにしまい、彼女がホームに降りる。
着かず離れず、慎重に距離を保ちながら尾行して、彼女は1軒の天ぷら屋へと入っていった。どこぞの料亭を思わせるその重々しい門構えからして、かなりの高級店らしい。どうやら、この店の従業員のようだ。
にしても、まさか俺の会社から目と鼻の先で働いていたとは。
しかも天ぷら屋の店員だなんて。
もう少し華やかな職業を想像していただけにちょっとショックである。
とにかく、職場はわかった。
後は仕事帰りを再び尾行し、自宅を突き止めるだけだが、肝心の彼女が店を出てくる時間が読めない。
現在、時刻は午前。
もしバイトであれば、勤務時間は7,8時間ってところか。
いったん会社に戻り、午後4時、ふたたび天ぷら屋へ
外から店内をそっと伺い、割烹着姿で働く彼女の姿を確認した後、数件隣の雑居ビルで張り込みを始める。
1時間、2時間と動きはなく、午後7時を回ったところで、店に電話をかけた、営業時間は9時までだという。こりや、閉店まで待つしかなさそうだ。
結局、彼女が店を出たのは午後11時過ぎだった。どうやら後片付けの後、他の店員たちと一杯やっていたらしい。少しはこつちの身にもなってくれ。思わず言いたくもなるが、むろん、俺にそんなセリフを口にする資格はない。やってることは、まんまストーカーですからな。
出勤時と正反対のルートで高田馬場駅を降り、暗い夜道を彼女が歩き出す。この後、いよいよ、自宅が判明するハズだった。
彼女が駅近くの駐輪場からチャリンコを引っ張り出し、勢いよくペダルを漕ぎ出すまでは。
えつチャリ通かよ
走った。若林。額に汗を浮かべ、えづきながらも全速力で走った。計、時間以上続けた張り込みを、ここでオジャンにするわけにはいかない。
しかし、いかんせんスピードが違いすぎる。死にものぐるいで追っかけても、2人の距離が徐々に離れていく。
やがて、彼女の姿は完全に深夜の住宅街へと消えてしまった。
翌日、昼。何も知らない職場の同僚を引き連れ、天ぷら屋に向かった。なるだけ彼女を見ぬよう意識しつつ、2千円もする高価なエビ天定食を平らげ、さっさと店を出る。座席に、わざとケータイを置き忘れたままで。
「あの、お客さま!」
キタキター.振り向くと、彼女が手を振りながら駆け寄ってきた。まあ、なんてカワイイ声をしているのでしょう。
「あの、これお忘れですよ」
「おお、こいつはうっかりしてた。助かった、ありがとう」
そのことばにニッコリと笑顔の彼女。ふつふつふ。これで完全に記憶に残っただろう。ケータイを忘れたうっかり坊やさんだと。
ところが、この後、俺は大失敗をやらかしてしまう。
その日の夜、例によって仕事帰りをつけ、高田馬場駅で一緒に降りたところまではよかったのだ。しかし、出会い頭でバッタリ出会うためには、彼女とは別の出口から外に出なければならず、遠回りをしてようやく地上に出たころには、時すでに遅し。彼女がチャリにまたがった後だったのである。
その後ろ姿をダッシュで追いかけながら、俺は悩んだ。こんな状況になつちまって、どう声をかけりやいいんだ?死にものぐるいで走っている状態で、
「てんぷら屋で会いましたよね。偶然ですねえ」
なんて展開はあり得ない。単に頭のオカシイ人だ。クソッ、いったいどうすれば!
間もなく、思い悩む必要はなくなった。またもや、彼女を見失ったのである。鴫呼…。
俺は人影の途絶えた路上でボーッと仔んでいた。夢中で彼女を追いかけているうちに、帰り道がわからなくなってしまったのだ。
勘を頼りに、静まり帰った住宅街を右へ左へ。しばらくして、前方にコンビニの明かりが見えた。お茶を買うついでに道を尋ねよう。そう考え、店の入り口に立った、その瞬間だ。
いた…。なんと彼女が、レジで精算をしているではないか!
願ってもない幸運に興奮しながらも、いったん近くの物陰に身を潜めた俺は、コンビニから出てくる彼女の方へゆっくり歩き出した。
すぐに相手も気づいたらしい。
チラシと様子を伺えば、目を細めて、ジーッとこちらを凝視し
ている。さて、どう切り出そう。
「あのう、こんばんは」
最初に話しかけてきたのは彼女の方だった。意外な展開に驚きつつも、必死にすっとぼけた。
「…え、どちらさんでしたつけ」
「今日、天ぷら屋でケータイ忘れましたよね。覚えてますか?」
「ああ、あのときの!はいはい、覚えてますよ」
涙がこぼれそうになった。いま、彼女と会話を交わせているこの事実に。そして、自分のあまりの白々しさに。そんな複雑な心境の俺に、彼女がさらにうれしい動揺を与える
「実は結構前から朝の電車一緒なんですよ。いつもゴルゴ13読んでますよね」
「うっそー、マジでっ」
「はい。だから今日お店にいらしたとき、ビックリしちゃって」
ジーン。知ってたんだ。俺のこと見てくれてたんだ。
「なんか、すこい偶然だね」
「ホントですね」
2人の立ち話は大いに盛り上がり、あとは彼女の名前やメアドを尋ねるまでだったのだが、ここで予想外のオジャマ虫が登場した。
「いよー、オニイチャンにオネ工チャン。仲良さそうでいいですな。俺にもお裾分けしてくれよう。ハハハのハ」
近所の中華屋から出てきた酔っぱらいオヤジに、イチイチ会話に割って入られちゃ、場も一気に冷めるというもの。もはや抱くは殺意しかない
「じゃ、アタシはこれで失礼します。またお店にいらしてくださいね。おやすみなさい」
そういってチャリンコで去っていく彼女を見送りながら、俺は今日ー日の出来事を反鍔した。これは、この展開は、マジで運命なのかもしれん。
果たして、手紙の返事はくるのか?
翌日、昼。またまた天ぶら屋を訪れる。本日の目的はーつ。自分のメアドと、ぜひ一度ゆっくりお話したいという旨の書かれたメモを渡すのだ。ここまで来れば、もはゃ手紙攻撃に気味悪がることもあるまい。
事実、彼女はすっかり俺に親しみを覚えたようで、注文の際、何気なく名前を尋ねると、照れた様子で名刺を差し出してきた。
「バイトなんですけど、一応、作ったんです」
武本直美(仮名)。ほほう、武本さんというのか。いい名前じゃないか。3年前から天ぶら屋でバイトを始めてからというもの、ずっと週6日勤務で帰宅は毎晩11時過ぎ。
昨晩、本人から聞き出した情報で、俺は彼女に彼氏がいないものと判断した。これだけ多忙な毎日じゃ出会いの機会があるとは考えにくい。
むろん、油断は禁物だが。
会計の際、あらかじめ書いておいたメモ紙をそっと武本さんに差し出す
「名刺どうもありがとう。これ後で読んでおいてよ」
緊張の一瞬。しばしの問を置き、武本さんがニッコリ笑った。
「あ、わかりました。読んでおきますね」
それからの数時間、俺はまるで試験の合否を待つような、何とも言えない気分を味わった。果たして返事は来るのか。職場に戻っても、そわそわ心が落ち着かず、仕事に身が入らない。武本さんからメールが届いたのは、日付が変わった午前ー時。自宅でー人、ビールを飲んでいるときだった。
「夜分遅くスミマセン。今日も来店ありがとうこざいます。ぜひゆっくりお話しましよう。せっかくこ近所ですし、夜ちょっと飲みたくなったら連絡ください。チャリで行きますから」
オノロケが格好悪いことは十分わかっているが、それでもやっぱりこの展開は自慢したって許されるんでないのっ
駅前の個室居酒屋に入り、とりあえず俺はビールを、武本さんは梅酒を注文し、乾杯。顔と名前がわかっているとはいえ、
まだ互いを知らぬ者同士、2人の記念すべき会話は自己紹介から始まった。
高田馬場で家族と4人暮らし。都内の有名私立大学を卒業したにもかかわらず、飲食店ばかりでバイトを続けるのは、将来、自分のお店を持ちたいからだと彼女は言う。
「それにしても、今日はホント、会えてうれしいよ。手紙を渡されて、気持ち悪くなかった?」
「ははは、大丈夫ですよ。でも、普通だったら今日会ってなかったかも。若林さんがお店に初めて来た日、偶然、高田馬場でも見かけたじゃないですか。そのとき、思ったんです。この人とは絶対縁がある。これは会うべきだって」ここまで狙い通りにコトが運ぶとは。さすがにこそばゆくなるが、しかし、その直後に彼女は俺を奈落の底に突き落とす。
「じゃなきや、わざわざ来ませんよ。彼氏だっていますし」
「・・・・00000」
女が彼氏の存在を他の男に打ち明ける。常識的に考えれば、これって、あなたには興味がありませんということに他ならない。
変じゃないですか。おかしいじゃないですか。じゃあ何で俺とデートを?単なる興味本位?
イカン。戦意喪失してきた…。
居酒屋でキスをかまし胸もまさぐって
意外にもおしゃべり好きな武本さんの主導の下、酒席は一見、和やかに過ぎていった。ニコニコと間き役に徹していた俺の頭は、今後の出方をどうすべきかで一杯だ。
彼氏の存在など無視し、強引に口説くべきなのか。それとも今日は顔つなぎだけで止めてお
き、今後に望みを託す方がいいのか.どちらせにせよ、簡単にコトが運ぶとは思えない。
判断のつかぬまま刻々と時間が過ぎていく中、筋の光明が見えたのは、居酒屋に入って3時間、改めて彼氏の話になったときだ。
「仲はいいですよ。でもラブラブって感じでもないんですよね。高校のころからずっと付き合ってるからしょうがないんだけど」
このセリフを彼氏に抱いている倦怠感と受け取るか、ノロケとするかは判断が難しいが、俺は都合良く前者と取った。付き合っても結婚の意思を固めぬ男に愛想をつかしていたところ、ポつと運命の男が目の前に現れた。そう彼女が言っているように感じたのである。いや、きっとそういうことに違いない。
武本さんの隣に場所を移動し、自然に手を握ってみる。傭いたまま、黙り込む彼女。ままよとキスをかまし、さらに服の上から胸をまさぐったところで、グッと右手を掴まれた。
「明日も仕事あるし、そろそろ帰らなきゃ」
「もうちょっといいじゃん」
「じゃ今度の日曜日、お昼から会いませんか?」
「ホントにまた会えるの?彼氏は?」
「あはは、もちろん彼には内緒ですよ」
午前3時。薄暗い店内で見つめた彼女の笑顔は、確かに俺への好意を感じさせるものだった。
☆それから2週間が過ぎた7月9日現在、すでに俺たちは3度目のデートを済ませている。武本さんは彼氏との別れを決めかねており、俺たちの関係もまだまだ微妙だが、ま、焦ることもなかろう。少なくとも、当初掲げた《第一の目標》はクリアできたのだから。
全国の同志諸君、いつまでも事態を諦観している場合ではない。先駆者として、キミ達の健諏闘を心から祈っている
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