SnapCrab_NoName_2023-2-5_9-8-43_No-00.png

もっと娘と一緒の時間を過ごしたい
娘がこの世に誕生したのは3年前だ。
なるべく一緒の時間を過ごしてやりたかったが、私は平日、妻が土日休みの会社員。
仕事を終えて家に帰ると、娘はすでに寝ており、休日は朝起きる前に妻が保育園に連れて行ってしまうため、子供の寝顔しか見られない。
そんな生活が影響したのだろう、娘がー才半になるころには、私の顔を見ただけで、人見知りして泣き出すまでになっていた。
ショックだった。このままでは父親として失格だ。
思い切って自分の休暇を使い、子供の保育園も休ませ、親子水入らずの時間を過ごすことを思い立った。いざ張り切って始めたものの、所詮は男親の悲しさ。
どこへ連れて行っても娘は泣き喚き、私はイライラしてばかり。丸ー日、子供と過ごすのは簡単なことではなかった。
そんなある日、仕事の用事で行った地元の市役所で、ー枚のチラシが目に止まった。

育児の悩み、一人で抱えないで。
ー親子で楽しい時間を過ごしましよ~
市の福祉課が設置した育児交流センターの案内だった。
自治体が空家の一軒屋を借り上げ、育児に悩む母親たちに開放しているらしい。
まさに、今の私の悩みにピッタリではないか一。
父親だって、相談には乗ってくれるだろう。
翌週の休日、娘を連れて育児交流センターへ同かった。
対応してくれた市の職員である20代の女性保育士さんによれば、用紙に名前と住所を書くだけで、館内の施設を月曜かり金曜の9時から5時まで、無料で利用できるという。
学校と違って何時に来ようが何時に帰ろうがオッケー。

中年男性が小さい子供を連れてくれば気になるのだろう。
家の事情を説明すると納得した様子だ。
その日は、午後3時ぐらいまで子供を遊ばせ、自宅に。娘の楽しげな顔を見て、私は実にうれしかった。リビングが、マット敷きのプレイルームになっており、そこで5人が小さな滑り台や積み木などで遊んでいた。娘はすぐにみんなに交じって遊び始めた。
保育士さんも見てくれるので、私の役目はそこで終了だ。
隣の部屋で、20代から30代前半の若い母親たちが座って話をしていた。
しょぼくれた中年親父がそんな場に入れるわけもなく、軽く挨拶を交わした後は、ー人離れた場所で子供たちの姿を眺めているよりない。
20分ほどたったころ、お母さんのー人が近づいてきた。
「おー人で育てるんですか?」
子育て相談と称したメ―ル交換
週ー回のペースでセンターに通い始め、ー力月が過ぎた。
最初の2-3週は行くたびに母親たちの顔ぶれが変わるので、同じ質間ばかりされた。男ー人で来たのがよほど珍しかったようだ。
実際、平日に子供を連れてくる父親は、私以外にー人もいない。母親たちと何度も顔を合わせ、話をするにつれ、彼女たちに派閥のようなものが存在し、曜日ごとに遊びに来るメンバーが違うことがわかった。
私は仕事の都合上、休みが取れるのは、月、火、木曜日の内のー日だけ。当然のように、その曜日によく来る母親たちと交流が深まった。
そのうち、最初に仲良くなった母親グループ4人組に誘われ、子供を連れてファミレスで食事をするようになった。話題は互いの家庭環境や育児の悩みから、子供自慢、グルメ、嫁姑問題など。夫への不満を口にする女性もいた。
日く、子育てに協力してくれない主婦業に理解がない等。男の私としては旦那の気持ちもわかるので、弁護しようと思えば弁護できたが、常に
「そうですよねえ」
「大変ですねえ」
と、暖昧に肯定していた。
一日一仲良くなると早いもので、昼一食会で携帯番号とアドレスの交換するまでに時間はかからない。母親たちは毎日ここへ来ているわけではないので、仲良し同士、連絡先を交換するのは自然なことらしく、私もその輪の中に入れてもらった格好だ。
こうして、4人の母親とメールでやり取りが始まった。

育児交流センターで若いあ母さんたちを口説き落とす
そのころ、地域の情報誌で「子連れで行けるレストラン」の記事を見つけた。
滑り台や積み木などを置いた子供用の《プレイルーム》が設置された、酒洛た雰囲気のお店らしい。母親たちといるとき、そんなレストランがあればいいという話題が何度か出たことがあった。これは使えるかもしれない。
「今日、子連れで行けるレストラン発見しましたよ。今度行ってみませんか」
何度も言うが、下心は無い。私が浮気できるような男じゃないことは、自分でよくわかっていた。
子供が寝てる間にホテルのソファで
当日、我々はー台の車でレストランに向かい、4人で楽しく食事した。子供たちがプレイルームで遊び始めたところで、何気に聞いてみた。
「2人目は作らないんですか?」
「ウチのとは絶対にそういうことはないですね」
どうやら、しはらく体の関係はないようだ。5才年上の旦那は、仕事が忙しく、自宅に帰るとすぐに寝て、休みの日も家でゴ口口しているらしい。
このとき、よこしまな考えが浮んだ。が、すぐに打ち消した。
自分は今の嫁に拾ってもらった身。その感謝の印に、毎月最低2回は必ず抱くと決めているほどだ。浮気なんて…
しかし、帰りの車内で、私は思いがけない行動に出てしまうのだ。
「あら、2人とも寝ちゃったみたいですね」
「ああ、ホントだ。じゃ、ちょっと、僕らも休んで行きましょうか」
「…えっ」
A子は最初驚いて絶句した。私自身もなぜ、そんな言葉を発したのか、よくわからない。彼女と予想以上に打ち解けたことで、思わず調子づいたのかもしれない。果たして、彼女はハッキリと拒絶しなかった。
ということは近くのモーテルに車を停めると、彼女は無言で子供を抱きかかえ、車から降りた。私の心臓は、音が聞こえるほどドキドキしていた。
子供を部屋のベッドに寝せると、我々は無言のまま服を脱いだ。
子供達が見えるように風呂場の扉を開けたままシャワーを浴びると、彼女は目の前にしゃがみ込み、私のペニスを唇で包み込む。異様なまでの興奮だった。
「…部屋に戻りましょうか」
「はい…」
ベッドは子供たちが寝ているので、ソファの上で行為に励んだ。子供が起きないよう彼女の口にタオルを噛ませたが、喋ぎ声が漏れる。私は私で、ずっと震えっぱなしだ。事が終わって、恥ずかしそうに彼女が言った。
「私、こんなことしたの初めてです」
「僕だってそうですよ。若い頃からモテませんでしたから」
私たちのそばで、子供たちはまだ眠りから覚めなかった。その後、A子とは2カ月に一度の割合で、子供が寝た隙にホテルに行くのが恒例のパターンとなった。
交流センターに通い始めて半年が過ぎたころすでに8人の母親たちとメル友になっていた。内容は、相変わらず子供の話が中心だが、そのうちのー人の母親B子(30才。ルックスは森三中の黒沢を少し痩せさせた感じ)が、私の仕事が住宅系の営業と知り、自宅のリフォームを相談してきた。親切丁寧に答えたことは言うまでもなく、彼女もまた私のアドバイスに感謝を送ってくる。
「あんなお店で食事してみたいですねー。独身のころはたまに行ってたのになー」
「じゃ、今度一緒に行きましょうよ」
単なる思いつきで言ったことばに、彼女は反応を見せた。そして
「じゃ、私、子供を託児所に預けてきます」
とまでいう。こっちが驚く方だった。同時に、期待心が湧いた。

翌週、待ち合わせ場所に現れた彼女は、いつものジーンスにトレーナー姿ではなく、タイトスカートを履いて、少しお酒洛な雰囲気だった。
「いつも可愛らしいですけど、今日は素敵ですね」
「ありがとうこざいます」
「こうしてあなたと食事していると、独身時代に戻ったような気持ちになりますよ」
その日、私は彼女を褒めて褒めて褒め倒した。これまで女性との駆け引きなどしたことがないので、ストレートに表現しただけのことだが、この作戦は間違ってなかったらしい。
「北田さんってホント偉いですよね。こんなに子煩悩なお父さんって見たことないですもの」
A子にも同じことを言われたが、育児疲れした母親たちには、休日を返上して子供と時間を過ごす父親の姿は、予想以上に好感度が高いらしい。
店を出て、車に乗ったところで、思い切って言った。

「じゃ、普通のデートコースに行きますか」
遠回しな誘い文句だったが、意味を理解してくれたようだ。30代のB子は、最初は恥ずかしそうにしていたものの、裸になってしまうと激しく悶えた。
お互い浮気に慣れていないだけに、興奮の度合いも並じゃない。
彼女との関係は、その後、旦那の転勤でいなくなってしまうまでのー年弱、月ー度のペースで続いた。
公園に集まってたのは十数人の茶髪の集団
B子と初めて関係を持った2カ月後、さらに25才で長身の母親とも関係を持った。方法は、前回の2人とまったく同じである。
自分には妻の他に3人のセフレがいる。
その現実が信じられない反面、調子に乗る自分もいた。
交流センターに、宝塚女優張りに結麗な20代後半の母親がおり、彼女と関係できないかと考え始めたのだ。
無理を承知で、何度も話しかけメルアドを入手、幾度となくメールを送った。
が、結局、彼女は落ちなかった。
やはり高望みし過ぎたようだ。
しかし、さほど落ち込む自分もいない。
いつのまにか、女性に対する苦手意識は消え去ったようだ。
それから2カ月が過ぎたある日、交流センターの一角に貼られた「育児サークル」と書かれたいくつかのポスターが目に留まった。
保育士のお姉さんによれば、元元ここに集まるお母さんたちが自分たちで作った素人サークルらしく、趣味の合う仲間同士で集まり、野外活動やイベント活動を通じて積極的に子育てしていくというものだという。すでに娘との距離を縮めることに成功した私にとっては目的は関係ない。
別の育児サークルに行き、また新たな母親と出会うことの方か重要だ。
ー枚のボスターを見て、娘を連れ指定の公園に足を運んだ。
集まっていたのは、十数人の茶髪の集団だった。どうやらヤンママサークルだったらしい。あまりに場違いだ。
「こんにちは、北田と申します。よろしく」
水商売風のケバい化粧をした20代後半のリーダーに挨拶すると、意外にも気さくに迎え入れてくれる。とりあえず輪に入った。
しかし、メンバーは、高校の途中で妊娠した十代の子や、金髪やオレンジ色の髪をした現役ヤンキーのような母親たちばかりだ。見た目は可愛い子か多いが、さすがに話しかけづらい。向こうもー人としてコチラに近づいてくる者はいなかった。
二度と行くまい。そう思ったものの、娘がグループの子供たちを気に入ってしまったらしく、解散後、「また行きたい」とせがむ。
仕方なく、翌週も顔を出した。前回いなかった母親も何人かいて、その中のD子(22才)が、なぜか私に積極的に話しかけてくれた。
いかにも昔不良やってましたって雰囲気だが、顔は実に可愛いらしい。彼女に会いたい一心で毎週のように通い、2カ月ほどで他のメンバーとも打ち解けて話すようになった。
彼女たちの話題は、芸能人と音楽と車の話ばかりだ。辛うじて車の話には付いていけたが昔暴走族にいた子がやたらと多く、改造パーツの話題か中心で、結局何を言ってるかわからない。それでも、数人とはメルアドの交換にまで発展した。
中でも、お目当てのD子とは親しくなり、仕事中でもオジサン、今とこにいる?とメールをくれるからうれしい。あまりに親切にしてくれるので、お礼も込めて、いつもの子連れレストランに誘った。彼女は一方的にテレビや芸能人などの話をしてきた。
それを、ただニコニコ聞いてるだけの私22才の女性と食事できるだけで幸せだ。

俺とエッチしていいと、思ってるのか?
話がいったん途切れたところで、冗談めかして言った。
「お父さんとお母さん、いまでも頑張ってるのかな」
「まさかー。オジサンだってそんなエッチできないでしょ」
「2年前でも子供作れたんだから今でも大丈夫だよ」
「ウソー」
「じゃ試してみる?」
「でも、私しつこいから、オジサン大丈夫かなー」
想像もしない展開である。この子、俺とエッチしてもいいと思ってるのか
「じゃ今度会うときは子供預けて来れば」
昔の私なら、こんなセリフは絶対に言えなかっただろう。
何なんだ、この変わり様は。
こうして、3回目の食事のとき、子供を旦那に預けてきたというD子とホテルへ入った。
虜になりそうなほど、魅力的な肉体だった。
私は完全に溺れた。しかしそのー週間後。顔を出したヤンママサークルでー人の母親に言われてしまう。
「あんたたち、最近なんか怪しくない」
むろん、私は冷静な顔で否定したが、あろうことか、D子か「ナイショー」と関係をばらしてしまったからシャレにならない。
「オジサン、いい歳こいてやることやってんじゃん」
誰にも責められはしなかったが、地域は妻の実家のある土地だ。どこでとうバレるとも限らない。
以降、ヤンママサークルに顔を出すのは止めることにした。D子からは何度かメールが来た。こんな中年男に、まだ会いたがってるようだ。
ヤンママサークルに通い始めて少したったころ、実はもうーつ別のサークルにも顔を出していた。
一見、普通の20代から30代前半の真面目な母銀はかり集まっていたが、実はここ、某有名宗教団体の会員だけで構成されたサークルだった。
数人で集まって話しているとき、某政治政党の話題が頻繁に出たので、うっすらそんな気はしていたが、さすがにメンバー全員が会員だと知ったときは正直引いてしまった。
が、特に勧誘もされず、困ることもない。いつもの要領で数人のグループと仲良くなり、メルアド交換へ進んだ。
しばらくメールのやり取りが続いた後27才E子を、件の子連れOKレストランに誘うことに成功した。「E子さんてさ、もしかして〇〇会に入ってるの」
「そうだよ」
少し引いていてもそこはいつもの営業スマイルと暖昧肯定で、宗教の話はやめ、褒めまくり作戦に。「本当におきれいです。タイプなんですよ」
「え、そんな。お世辞か上手ですよね」
「本気で言ってますから」
彼女たちは、私以上に真面目で、異性に誘われ慣れていない。しかも、家族ぐるみで信仰しているため、男性たちも人の奥さんには誰も手を出さないのだ。
その日は大人しく帰ったが、メールでも可愛い可愛いと責めまくり、まんまと2人きりで会う約束を取り付けた。場所は、知人に見つかるとマズイという彼女の頼みを聞き入れ、車で20分ほどのレストランに入った。
「今まで浮気したことあるの?実は俺、過去に一度だけあるんだけど」
「私はありません」
彼女とのセックスは、想像以上だった。真面目な人妻をロ説き落とした背徳感、遊びなれてない女性ならではの新鮮な反応に、心底癖れた。しかし、何度か会って2カ月もするうち
「〇〇さんってすこい人がいるんだけど、その人のお話を聞きに言ってみない」
宗教への勧誘が激しくなってきた。
勧誘用のピデオも観せられた。そろそろ潮時だ。
「浮気している私は、本采の私ではないの」
そんな台詞を残し、結局彼女の方から離れていった。
自分の良心と葛藤しながらも、快感に抗えない女の性。実に私を燃えさせただけに、残念でならない。
★わずかー年半でセフレにまで持ち込んだ女性が全部で5人。アプローチの途中で失敗した相手も3人ばかりいるが、現在もA子とc子の2人とは関係が続いている。
別の育児サークルもまだまだ存在するし、新しいお母さんも増えるはず。妻には申し訳ないが、娘が幼稚園に行くまでの残りー年、夢の続きを見続けていくつもりだ。
関連記事


★★★裏モノジャパン電子書籍絶賛販売中★★★



広がるマッチングアプリ婚!コロナ明けで出会い欲は加速中
af640x200_8_sp.png





レアおすすめ動画



本日の人気動画情報

生々しい素人のエッチな醜態・エログちゃんねる
生々しい素人のエッチな醜態


素人の女性の裸とオマンコ写真・アダルトブログランキング内




カテゴリ
タグ