









初めて自分の身長にコンプレックスを抱いたのは、中学のころだ。
当時164センチ。中2にしては高くもなく低くもない。しかしバスケ部に所属していたこともあり、私の周りには170センチを超える同級生が多かった。 ゴール下の競り合いや1オン1でのマッチアップ。そんなささいな練習でも、身長の差を否が応にも感じざるをえなかった。(あと10センチ高ければなぁ…)
部活の度に、そんなありもしない、夢みたいなことばかり考えていた。
といっても当時はまだ、思春期なら誰もが抱える悩みの一つに過ぎない。バスケ部には自分よりも背の低いヤツはいたし、周りに身長をネタにされ、イジられることもなかった。
が、中三の春、突如としてフツーの日常は奪い去られる。
その日は新しいクラスでの初のホームルーム。親睦を深める時間だ。
一年、二年のこの時間は普通の自己紹介なんかに充てられていたのだが、今回は違った。新担任の軽薄な体育教師が、みんなであだ名をつけ合おうと提案してきたのだ。
一人ひとり教卓に立ち、自己紹介をした後、みんなにあだ名を決めてもらう。
「川崎優太です。よろしくお願いします」
前の生徒と同じように無難な挨拶を終え、パチパチと力ない拍手の後、一瞬の間が空いた、そのとき。「短足人間!」
「ダックスフント!」
まさかの言葉がクラス中に響き渡り、その日一番の笑いが巻き起こった。
家に帰り真っ先に向かったのは、母親の部屋にある姿鏡だ。そこに映る自分の姿をじっと見た。身長に対して顔が大きく、体に対して足は短い。背が低いことで起きる体のアンバランスさに気づき、涙が止まらなかった。
身長が低く、スタイルが悪い。
15才にして突きつけられたこの事実は、残酷なモノだった。周りから自分はどう見えているのだろう。そんな不安を抱えた私は、劣等感から、だんだんと友人とも距離を置くように。あの日以来、クラスでは短足キャラが定着してしまったこともあり、「ちんちくりん」「ずんぐりむっくり」 などの心無い声を容赦なく浴びせられた。
冗談交じりだろうが、先生にも言われるのだからどうしようもなかった。
思春期真っ只中で、重いコンプレックスを抱えた私は、女子に声をかける勇気もなく、同級生のカップルを指をくわえて見ることしかできなかった。
誰かに話しかける。その一歩が鉛のように重かったのだ。 友達は離れ、恋人もできない。当時の私は孤独そのもの。フツーの身長にフツーのスタイル。そんな人間がうらやましくてしょうがなかった。大金を払ってでも手術を受けたい 高校、大学、そして社会人と環境が変わったところで、周りへの劣等感がなくなるはずもなく、より一層、孤独を深めていった。
そんな私の唯一の趣味がインターネットだ。ネット掲示板を見ているときだけは、嫌なことを忘れられた。 自分よりも「下」を見て安心したかったのだろう。四六時中ネットに入り浸るような灰色の青春時代を過ごすうち、気づけば25才になっていた。
その日も仕事から帰り、パソコンを眺めていると、掲示板に「骨延長」なるスレッドが目に入った。 その中に、たびたび話題にあがっている人物がいた。彼はアルメニアで手術をし、身長を10センチも伸ばしたというのだ。
そんなことありえるのか? 詳しく調べてみて驚愕した。「骨延長」と呼ばれる手術は、ヒザ上やヒザ下など、伸ばしたい箇所の骨を切断することで延長できるというのだ。 長年、身長(と足の短さ)にコンプレックスを抱いていた私にとって、それは運命の出会いだった。
すぐさまアルメニアでの手術費用を調べると、半年の入院で500万円。長期間、かつ高額。でもこのままコンプレックスを抱えて死ぬよりは、大金を払ってでも手術を受けたい。親に頭を下げて金を借りた私は、会社も退職した。失うものなど何もなかったので、行動だけは早かった。
しかし渡航1週間前、あるブログを見て、心臓が止まりかけた。
そこには、アルメニアの骨延長手術に失敗した内容が書かれていたのだ。写真には、
無残にもバナナのように変形した足に加えて、ボロボロの手術跡が。フツーの人間の足には、とてもじゃないが見えなかった。
結局この一件で、アルメニア行きは断念することになった。費用は700万円。期間は5カ月ほどそれからおよそひと月。会社をやめ、希望も打ち砕かれ、途方に暮れていたある日、たまたまTwitter を眺めていると、気になる投稿を見つけた。
<ドンフン病院で骨延長中です。順調にリハビリも行えています>
この見慣れない名前の病院は、その年(2018 年)、韓国のテグという町で開業したばかりだが、院長でもあるドンフン先生がかなりの凄腕らしい。
これまで7千人以上の患者を手術してきたにも関わらず、失敗はゼロとの触れ込みだ。 費用は、入院費、リハビリ費込みで700万円。期間は5カ月ほど。アルメニアよりも値が張るが、追加で親に借りればなんとかなる。すぐに連絡を取ることにした。
慣れない翻訳アプリを使ってメールのやり取りを重ねていくと、<もしよかったら一度、病院を見学してみませんか?> との返信が。
すぐに日時を決めてもらい、韓国に向かった。事前に現地の通訳を予約していたこともあり、病院までは難なくたどり着けた。
中に入りまず感じたのが、設備の充実ぶりだ。病室にはテレビや冷蔵庫など、生活に欠かすことのできない家具や家電が一式揃っているだけでなく、リハビリ施設にはジムまで完備されていた。ランニングマシーンに、ベンチプレスなどのウエイト器具がズラッと並んでいるのだ。
院内の施設の豪華さに驚いていると、看護師さんが通訳を通して笑顔で話しかけてきた。
「何かご不満はありませんか? 私にでしたらなんなりとお申し付けくださいね」
「いえ、そんな大丈夫です」
「そうですか。何かあったらすぐにお呼びしてくださいね」
その後、ドンフン先生との面会の時間が。院長室のドアを開けると、先生は異国から来た私を優しく迎え入れてくれた。
「これまでツラかったでしょう。私で良かったら話を聞かせてくれませんか?」
優しい言葉が身に染みた。手術の説明を一通り受け、私は即決した。
「先生の手術、ぜひ受けさせてください!」
オペを受けるのは3カ月後だ。自然治癒力によって身長を伸ばす
手術前日、私は再びドンフン病院に足を踏み入れた。
ロビーで数分間待っていると、看護師が笑顔で近づいてくる。
「え~、あの、手術でこちらに来まして…」
話しながらも身振り手振りでワケを伝える。今回は通訳がいないのでこんなことでも一苦労だ。
奥の診察室で、ドンフン先生による事前の検査を受け、すぐに病室へ。私がこれから長期間入院する部屋は、ベッドにテレビ、トイレに冷蔵庫と、見学のときのまんまだ。
ベッドに横になると、時刻は夜の21時を回っていた。(あと12時間後には手術か…)
骨延長手術とは、ヒザ上やヒザ下など、伸ばしたい箇所の骨を切断し、引き離す手術のことだ。
離された骨が自らの力で修復するために伸びようとする力、いわば自然治癒力によって身長を伸ばすわけだ。
原理自体はシンプルだが、実際にはもっと複雑である。人間の足には、ケイ骨とヒ骨の2本が通っているのだが、それぞれ伸びやすい場所(部位)が違うのだ。
同じ部位で2本とも切ってしまうと、ケイ骨だけが伸びて、ヒ骨はそのまま、みたいなことが起き、あのアルメニアの写真のように足が変形してしまうのだ。
私が今回受けるのは、ヒザ下の骨延長手術。中でも「LON 法」と呼ばれるモノだ。
この手術、骨を断ち切るところまでは通常の骨延長と変わらないのだが、イリザロフという固定器をボルトのようなもので中の骨に打ちつけることが特徴だ。こうすることで、アサガオを育てるときに支柱を立てるように、真っ直ぐに骨が伸びやすくなるのだ。
(足を切断するってどんな痛みなんだろう)
(そもそも本当にこんな手術で身長なんて伸びるのだろうか)
考えれば考えるほど、悩みが脳内を渦巻き、冷や汗が止まらない。
(いっそ逃げた方がいいんじゃないか)
気持ちを落ち着けようと、病室をグルグルと意味もなく歩いてみたが、心臓の鼓動は高まるばかり。結局、一睡もできず朝を迎えた。
午前9時。手術台に横になり、全身麻酔をかけられると、うなじがピリピリと疼き、だんだんと視界が薄れていった。
……目を覚ましたときには病室の天井を見上げていた。意識がないうちに手術は終わったようだ。たぶん3時間ほどだろう。だんだんと意識が鮮明になってくると同時に、全身に電気が走ったかのような痛みが。「痛い痛い痛い!」
誰かに思い切り殴られているような感覚で、体中が痛くて熱くてたまらない。右へ左へ、体を何度もよじって痛みを分散させようとする。なんで足を切っただけで、全身が痛いんだ!今度は続けざまに、強烈な吐き気がやってきた。
「う、おえぇぇぇ」 胃の中のありとあらゆるモノをベッドの上に吐き出し、そして体をよじる。
「誰か!誰か!」 大声で叫ぶと、廊下にたまたまいたのか、看護師が駆けつけてくれ、言葉はわからないまま、手の余っている医者を呼んでくれた。
鎮痛剤のようなモノを投与され、ようやく痛みがスーッと抜けていく。
ふと自らの足に目をやると、そこには固定器の「イリザロフ装置」が。ヒザ下とくるぶし、両方にガッチリと刺し込まれたボルトは、思わず目を背けるほど痛々しい。
自分はいったい何センチ伸びるのだろう 骨延長手術では、足を切断してから、およそ5カ月間の入院が必須となる。 リハビリのためでもあるが、なによりもイリザロフ装置による骨の延長を行う必要があるからだ。 この装置には、目盛の振られたリングが付いているのだが、そこを1日に4回ま
わすことで、毎日1ミリずつ伸ばす力が加わっていく。
しかし、1センチ伸ばす圧力をかけたところで、骨も1センチ伸びるとは限らない。目盛りの数値はあくまでも「仮延長」の値だ。 これまでの患者においても、10センチ仮延長しても、実際に伸びたのは5センチなんて人もザラにいるし、骨が何センチ伸びるかなんて、医者ですらわからないのだという。 オペを受けてから10日。最初は動かす度に激痛が走った足も、徐々に痛みが引いてきたことから、いよいよイリザロフ装置での骨延長を開始する。
まずは1ミリ。痛みはない。明日もさらに1ミリだ。そしてその次も。10日でやっと1センチだから気の長い作業だ。
自分はいったい何センチ伸びるのだろう。そんな不安と期待が入り混じった気持ちを抱えながら月日は過ぎていった。
入院生活は、骨延長とリハビリ以外の時間は、基本的に自由だ。
とはいえ、車イスでの生活を余儀なくされているので、もっぱら部屋で時間をつぶすしかない。
ハマったのは韓国ドラマだ。ドンフン病院のテレビでは、韓ドラが24時間見れるチャンネルがいくつもあるのだ。展開が遅いこの手のドラマ、暇つぶしにはピッタリだった。
1日1ミリのノルマは継続される
4カ月が過ぎたころ。いつものようにスタッフに骨延長のリングを回してもらったときだ。
「痛ッッ!」足の甲に痛みが走った。これまでは何も感じなかったのにおかしいぞ。すぐにドンフン先生に相談した。
「先生、あの、最近足がめちゃくちゃ痛いんですけど…」
片手にはスマホの翻訳機。これで通訳してもらう。
「それはね、骨の硬度が関係しているんです」
先生は言う。骨延長とは、骨の神経を強制的に伸ばすような作業であり、切断された骨が4カ月経って硬くなり、神経も硬くなったため痛みが出るのだと。
ともかく異常事態ではないと知り、その日は痛み止めを飲んで寝ることに。
が、次の日の朝、とんでもない痛みに襲われて目が覚めた。まるで足の甲が火で炙られているようだ。「痛い痛い痛い!」 すぐにナースコールを押し、強めの鎮痛剤をもらうも、まったく効果がない。 その痛みのまま、いつものように骨延長の時間が。痛みがあっても1日1ミリのノルマは継続されるのだ。「~~~ッッッ!」
スタッフがリングを回すたびに、悶絶しかけるほどの痛さだ。痛みを通り越して、もはや熱い。熱くて熱くて意識が飛びそうになる。そんな思いをしてやっとこさ1ミリ進むだけだ。
リハビリ室での補助付きウォーキングも困難を極めた。
床に足をつけた瞬間、割れたガラスを踏みつぶすような激痛に襲われるのだ。
このころ、睡眠時間は毎日20 分ほどしかとれなかった。あまりの痛さに寝ることすらままならないのだ。こうして2週間、地獄のような痛みに耐え続け、ようやく骨延長は終わりを迎える。しかし安心するのはまだ早い。役目を終えたイリザロフ装置を、足から外すため、足骨に刺さっていたボルトを手術で抜かなければならないのだ。
あの時と同じように、また手術室で麻酔をかけられ、目が覚めたときには病室のベッドにいた。
起きたと同時に、足を切断したときのような激痛が。「あ~痛い痛い!」
右へ左へ、何度も体をねじり、痛みを分散させる。ボルト跡が残るくるぶしとヒザ下の皮膚からは、血がドクドクと溢れ出し、ガーゼが何枚あっても足りない。痛みと軽い出血は、3日間も続いた。
「これを耐えれば終わりだ!」と、ただただ耐える3日間だった。
最後の診察で、ドンフン先生が足にかかったガーゼを外した。
スラっと伸びた二本の足に、長いヒザ下。
「ここまでよく頑張りましたね。自分を褒めてあげてください」
やった! 自分は生まれ変わったんだ! レントゲンでの結果によれば、なんと足は7センチも伸びていた。私の身長は168センチから175センチになったのだ!
それから1カ月、念のためホテルから通院を重ね、自力で歩けるようになるまで回復したところで、ドンフン病院に別れを告げた。 半年間の長くてツライ入院生活を終え、真っ先に向かった場所。それは10年前と同じ、実家の姿鏡だ。
頭からつま先まで、そこに映る自分の姿をじっと見る。スラっと伸びた二本の足に、長いヒザ下。私の体は確かに変化していた。もう昔の自分とは違う。そんな自信を持つと、一つ気になることが。
(ん? 俺の服、なんかダサくないか?)
これまで自分の姿など、ほとんど見てこなかった私にとって、初めての感覚だ。すぐさま街へ繰り出し、オシャレな服屋へ向かう。片っ端から試着していると、笑顔で店員が近づいてきた。
「お客様、そのボトムスお似合いですよ」
「え、ありがとうございます」
接客トークの一つに過ぎないが、これまで外見について、誰にもホメられたことがなかった私にとって、店員の言葉は心底嬉しかった。この出来事がキッカケで、オシャレに目覚めると、すぐに女性関係にも変化が。お見合いパーティで知り合った女性と初めてデートすることになったのだ。
当日、待ち合わせのお台場は、12月の中旬ということもあり、多くのカップルで賑わっていた。
昼に集合し、カフェやレジャー施設など、定番スポットを満喫すると、時刻は夜の7時。
「私、最後にイルミ見たいな」「お、いいね、じゃあ今から行こっか」
近くのイルミネーションに向かうと、日中にも増して多くのカップルが。「優太さんはここ初めて?」「うん、初めてだよ」 鮮やかに彩られた並木道を歩いていると、ふと、こんな言葉が飛び出る。「あのさ、手、繋いでもいい?」
過去の自分なら、ありえないセリフだ。数秒、間が空くと、彼女は恥ずかしそうに答える。
「…うん、いいよ」ゆっくりと手に触れ、温もりを感じる。女性をリードするのは初めての経験だった。★ 現在、27才。足を切ってから2年の月日が経とうとしている。特に痛みはないし、歩きにくさもない。傷跡も目立たない。手術は成功したと言っていいだろう。
将来どんな副作用が訪れるかは、まだわからないが、いま、自信を持って生きていけることが、ただただ幸せだ。再就職もしたし、親に借りた大金もいずれ返せるだろう。
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