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俺は、読者歴15年の裏モノファンだ。「テレクラ格付け委員長」、「フーゾク噂の真相」、「しんさくヤルノート」など好きな連載はたくさんあるが、ここ最近、真っ先に読んでるのは「M‐1王者への道」だ。 そう、編集部セントウさんがM‐1での優勝を目指し、奮闘するアレだ。 なぜ俺があの連載を好きなのか。読み物としてシンプルに面白いというのはもちろんだが、何を隠そう、俺自身もお笑い芸人なのだ。 あの連載で、セントウさんはコンビ解散や賞レース敗退に何度か直面し、気落ちする場面が描かれているが、俺に言わせればまだまだ序の口に過ぎない。 芸人を志すというのは、パチンコ中毒と同じ。下手にハマれば、簡単にやめられなくなり、人生の貴重な時間を無駄にしかねない。 芸歴およそ20年。にもかかわらず、テレビ出演の経験が数えるほどしかない俺などまさにその典型だろう。 売れない芸人とは、いったいどんなことを意味するのか。 芸人としての俺の軌跡を振り返りつつ、その苦悩を大いに語らせてもらおう。こんなことをやってる場合じゃない
 俺と同世代のお笑い芸人は、芸人を志したキッカケがほぼ全員、共通している。ダウンタウンへの憧れだ。 もちろん俺も例外ではなく、中2のころ、初めて観た「ごっつええ感じ」に大きな衝撃を受けた。なぜなら彼らは、ただ面白いだけでなく、俺の価値観を一変させたからだ。 芸人って、なんてカッコイイ職業なんだと。それは、今までさんざん笑ってきたビートたけしや明石家さんまには感じたことのないものだった。 以来、ダウンタウンの番組は欠かさずチェックするようになり、高校生になってからは、明確に「芸人になりたい」と思うまでになっていた。 とはいえ、俺の実家(中部地方)は、両親や親戚が公務員だらけという堅物ファミリーだ。芸人になるなど口を滑らせようものなら、それこそ全力で反対するに決まっている。そこで両親には芸人志望の件を伏せたまま、大学へ進学することにした。いずれ正直に打ち明けるにせよ、いま話すのは得策ではないと考えたのだ。いわば芸人になるための時間稼ぎである。 大学卒業後は、東京のテレビ制作会社に就職し、番組ADに。もちろんそこには、テレビ局で働けば、芸人の道が開けるかもとの打算があったものの、そんな都合のいいチャンスなど転がっているはずはなかった。 にもかかわらず、ついつい5年もADを続けてしまった俺は、ようやくある日、ハッとする。 こんなことをやってる場合じゃない。芸人にならなきゃ! 追い立てられるように制作会社に辞表を出したその足で、俺はある男にお笑いコンビを組もうと持ちかけた。 幼なじみのHだ。コンビ芸人をやるなら、相方はコイツしかいないと昔から決めていたのだ。時は2003年、俺はすでに26 才になっていた。
「ハッキリ言ってセンスがないと思う」 俺より4年早く上京していたHは、専門学校を卒業したあと、バイトをやったりやらなかったりという根無し草のような生活を続けていた。一緒にお笑いをやろうと誘ったところ、やつが身を乗り出す。
「へえ、めちゃくちゃ面白そうじゃん。芸人になって大金持ちになれたらいいなあ〜」 人を笑わせるためなら、人間のクソすら食う男。そんなやつが味方になってくれれば百人力だ。Hよ、絶対に売れっ子になろうぜ。 相方が決まったとなれば、次に俺たち目指すべきは芸能事務所に所属することだ。 当時は、芸人になる道として、養成所に入ることが主流になっており、養成所を出れば、その母体である芸能事務所への所属が約束されていた(養成所によっては、優秀なコンビしか事務所に所属できないことも)。 養成所を通ってこなかった俺たちが事務所に所属するには、直接、お偉いさんにネタを見てもらうしかない。 そこで俺は、ネタ見せ用のコントを書いた。
 受験生(=俺。ボケ役)が部屋で勉強していると、母親(=相方H。ツッコミ)がイチゴを持ってきて、どうのこうのと続いていく内容だ。 これを書き上げたときは会心の出来と自信満々だったの
だが、実際のネタ見せでは、事務所のお偉いさんたちが笑うことはなかった。本当にクスリともしないのだ。 ネタを披露した事務所は5、6カ所。なかにはほとんど罵倒に近いダメ出しをされることもあった。「あのさ、設定もガバガバ、話の辻褄も合ってないから、まったく笑えないんだよ。ハッキリ言ってセンスがないと思う。芸人はあきらめたら?」 はあ…。客席から10本の札がササッと
 翌年も事務所所属を目指し、精力的にネタ見せを続けた。 そんな中、契約を断られたある事務所のスタッフが貴重な情報を教えてくれた。「どうしても芸人を続けたいなら、ラ・ママのオーディションでも受けてみれば?」 ラ・ママとは渋谷にある老舗ライブハウスのことで、コント赤信号のリーダー、渡辺正行がそこで定期的にお笑いイベントを開催しているらしい。 しかも、そのお笑いライブには無名の芸人が出場できるコーナー「コーラスライン」なるものがあり、事前オーディションに受かれば、俺たちも出場できるという。 スタッフがおどけるように眉を釣り上げた。
「ラ・ママで客にウケたら、どこかの事務所にスカウトされるかもよ。爆笑さん(爆笑問題)も初舞台でラ・ママに出たんだけど、太田プロから声がかかったし」 ほお、そういう手もあるのか。
 さっそく新作コントを書いた。内容は、朝食にねずみを食べてきたと言い張る女とお見合いするというもので、Hと猛練習を重ねた結果、俺たちは見事、オーディションに合格する。コーラスラインの出場権を勝ち取ったのだ。よし! オーディションに合格したのは50組中10組だけ。上位に入ったことで、俺のモチベーションは嫌でも高まった。これを足がかりに必ず売れてやるぞ! 迎えたライブ当日。客席はほぼ満員で、世の中がお笑いブーム真っ只中にあることを如実に物語っていた。
 コーラスラインは有名芸人が出場するライブの合間に行われ、面白いルールがあった。 芸人のネタをつまらないと感じた観客は札を上げることになっており、それが10 本になった時点で強制終了させられるのだ。コーラスラインの出場芸人は舞台袖で出番を待ち、みなその間、他の芸人のネタを眺めていたのだが、俺たちのひとつ前に舞台に立った若いピン芸人が、やたらとウケている。何だあいつ? ホストのような格好をしており、芸風も見た目同様にチャラい。俺の大嫌いなタイプの芸人だ。け、くそショーモナ! しかし、やつは強制終了させられることなく、最後までネタをやりきり、他のコーラスライン芸人たちは口々に「スゲー」と称賛していた。 ちなみにそれから4、5年後、自宅で「爆笑レッドカーペット」を観ていたところ、同じ芸人が出演していた。チャラい芸風はそのまま、しかし大ブレイクを果たしたやつの名は、狩野英孝と言った。あんなつまらないネタでよくぞ売れたものだ。 話を、2004年時のコーラスラインに戻そう。 ようやく出番の回ってきた俺たちは緊張気味に舞台に立った。なにせ大勢の観客の前でネタをやるのは初めての経験。普段、緊張とは無縁のHでさえ、表情が固い。 しかし、自分たちのコンディションを心配する必要などなかった。ネタを開始してわずか30秒後、客席から10本の札がササッと上がったのである。同期の芸人たちが次々とブレイク 2年後、恐れていた事態が勃発した。相方Hが、急に芸人を辞めると言い出したのだ。 やつは俺に内緒ですでに別の仕事を始めており、その仕事絡みで長期の出張に出かけるという。「東京をしばらく離れるから、もうお前とネタ合わせはできないよ。すまんな」 一瞬、腹が立ったが、やつの人生はやつのものだ。ここは幼なじみとして快く送り出してやらねば。
「そういうことならしょうがないよな。がんばれよ」「ありがとう。お前もがんばって売れてくれよ!」 新しい相方はおいおい探すとして、とりあえずピン芸人として再出発することに。 フリップ芸を武器に再びラ・ママのオーディションに挑んで合格。コーラスラインに出るも、大惨敗。そんな鳴かず飛ばずの状態が続いた。 俺の苦悩はこれだけではない。2006年前後を皮切りに、同期(活動開始時期が同じという意味)の芸人たち、オリエンタルラジオやはんにゃなどが次々とブレイクしていったからだ。俺の芸歴は東京NSC10期生と同じなのだ。 この現象により、猛烈な不公平さを感じた。オリエンタルラジオはまだしも、はんにゃのネタのクオリティの低さはヒドくないか? あんなのガキにしかウケないクソネタじゃん! 金田のルックスが良いから、女ファンの支持を集めてるだけじゃん! 以降、テレビにはんにゃが映ると、まるでそうしないと自分がブレイクできないかのように、1秒以内にチャンネルを替えるようになった。そして、はやく落ちぶれろ! と呪いをかけるようにも。 芸人は売れたもん勝ち。たしかにそのとおりだし、俺のはんにゃ批判が嫉妬に過ぎないこともよくわかっている。 だからこそ、事務所所属が急務だと改めて思った。面白くもなんともないはんにゃが売れるには、吉本という最大手お笑い事務所のお膳立てが不可欠だったはずなのだから。カネがあったら、居酒屋で打ち上げできるのに 某年、念願の所属事務所が決まった(所属芸人40〜50組ほどの規模)。ピンでネタ見せをしにいったところ、たまたま内容を気に入られ、契約を結ぶことになったのだ。よしよし、やっと運が上向いてきたのかな?  しかし、現実は甘くない。前向きなニュースは同じ事務所の芸人とコンビ結成したことくらいで、あとは不安が増大することばかりだった。 なにせ事務所と契約を結んだ年から2010年までの間、芸人としての収入がいっさいなかったのだ。本当にいっさいだ。 もちろんそれまでも無収入の時代はあったが、それは事
務所に所属していなかったから。事務所に所属さえすれば、多少はギャラがもらえると思っていた俺は相当におめでたい性格だったようだ。 現実には、テレビで名前の売れている芸人ならライブ出演してもギャラが発生するが、無名芸人はとにかくライブや賞レースに出まくり、名前を売るしかない。それまではノーギャラなのだ。 俺の生活は、コールセンターのバイトで成り立っていた。簡単に言えば客からかかってくるクレーム電話の対応だ。 手取り月収は20万前後。ここから家賃を差し引くと14万ほどしか残らないが、正直、生活していけない額ではない。 とはいえ、切ない思いをすることもしばしばだ。 たとえば事務所主催のライブに出演した折、カネのない無名芸人はたいてい公園で打ち上げをやる。スーパーで酒や刺し身などを買い、みんなで持ち寄るのだ。 しかし、ちょっとでも風が吹けば、刺し身に砂がかかるわけで…。何事も面白がろうとするのが芸人のサガだから、その場ではとりあえずオモシロオカシク笑い飛ばすのだが、やがて悲しくなってしまうのだ。
 カネがあったら、居酒屋で打ち上げができるのになと。同じ事務所の売れっ子芸人が羨ましいなと。『息子が売れない芸人のくせに威張ってる』って あれはたしか、2012年の冬だったと記憶している。突然、実家のオヤジから電話があった。
「おまえ、まだ芸人やってるのか。いったい、いつまでバカなことを続けるつもりだ?」 両親には早い時期から芸人をやっていることがバレていた。たびたび「はやくマトモな仕事に就いてくれ!」と懇願されてきたが、そのつど、上手く言いくるめて難を逃れていたのだ。 今回の電話もまた発作が起きたんだろうとタカをくくっていたのだが、どうもいつもと様子が違う。オヤジが急に「く、く、く」と涙をすすりだしたのだ。居酒屋で打ち上げしたい…「頼むから芸人をやめてくれ。おまえ、母さんが職場でなんて呼ばれてるか知ってるか?」「知らない。なんかあったの?」
 当時、母親は地元の学校でベテラン教師をしていたのだが、ある日、他の教師が母の陰口を言ってるのを偶然、聞いてしまったらしい。「母さん、泣いてたぞ。『息子が売れない芸人のくせに威張
ってる』って言われたんだと」 ショックだった。人一倍正義感の強い母親のこと、職場で煙たがられるのは仕方ないとしても、俺のせいでそんな悪口を言われてるとは。 オヤジが続ける。
「おまえ、いくつになった?」「今年で35かな」「おまえの同級生に銀行に入った子いたろ。先週結婚したぞ。年収も600万あるんだって」 オヤジは俺にまっとうな人生を歩んでほしくて、そんな嫌味を言うのだろうが、俺だってこのままがいいとは決して考えてない。とにかく、芸人としての知名度が上がりさえすれば、すべてが上手く回り始めるのだ。そこんところを理解してくれ!トレエンのネタに打ちひしがれる とはいえ、オヤジの電話の件は俺自身も相当こたえたらしい。あの電話があって以降、将来への不安で眠れなくなる時期がしばらく続いたのだ。 俺は一生、売れない芸人として人生を終えるのか。結婚はどうする? いちおう、バイト先で知り合った彼女と長らく付き合ってはいるが、いい歳になっても結婚してほしいと切り出さないのは、彼女もまた俺の将来を悲観的に見ているからなのでは? あるいは、こんなことも考えた。高校からずっと、芸人になる夢を見続けてきたけど、その時間を勉強や仕事に費やしていたら、別のステキな人生を送れていたかもしれない…。 とにかく、目をつむった途端、そういった様々な邪念が頭に入り込み、胸が苦しくなって寝られなくなるのだ。もはやノイローゼ寸前である。 さらにその状況は、ある出来事によって拍車がかかった。2015年のM‐1に出場したトレンディエンジェルが優勝したのだ。そう、彼らもまた東京NSCの10期生である。 彼らが優勝したときのネタを、たまたまテレビで観ていたのだが、まさしく打ちひしがれる思いを味わった。 ハゲを前面に押し出して笑いを取る手法は、これまで何人もの芸人が使っている。 しかし、彼らの場合は「チェケラッチョ、ハゲラッチョ」というリズムネタに落とし込んでいることが斬新なのだ。オリジナリティが抜群というか。 背広を広げながらのセリフ「誰だと思ってんだオマエ、斎藤さんだぞ?」や「ペッ」といったギャグも破壊力がある。 つまり俺は、M‐1優勝への嫉妬、羨望を抱きながら、同時に自分の力量の限界にも気づきはじめたのだ。こんなすごい漫才、俺たちには到底できないと。 参考に、2015年までに俺が出場した賞レースの回数とその結果を記しておこう。● M‐1(2011 年から2014年まで無開催)・出場回数2回。すべて1回戦敗退●R‐1・出場回数3回。すべて1回戦敗退●キングオブコント2回。最高で2回戦敗退 ちなみにトレエン優勝の2015年M‐1にも出ているが、これを機に俺はコンビを
解散している。理由は相方が結婚して芸人を辞めたからだ。ぺこぱに比べて俺たちは…
 それからの数年は悪い意味で何事も起きずの日々だった。賞レースは惨敗、お笑いライブでは客から失笑を買いと、相変わらずのダメっぷりである。 しかし、2019年、奇跡が起きる。 3人目の相方とコンビを組んで出場したキングオブコント。そこでなんと準々決勝に進出したのだ。 残念ながら準決勝には進めなかったものの、俺たちを取り巻く環境はガラッと変わる。 まず、事務所が率先して俺たちの仕事を取ってくるようになった。中でもコーフンしたのは、ダウンタウンの番組出場を賭けたオーディションだ。 惜しくも最終選考で落とされてしまったが、憧れのお笑いコンビがこれまで以上に身近に感じられたことは大きな財産といっていいだろう。 ファンが増加したのも喜ばしい点だ。ライブに出演すると、出待ちファンがいて、ケーキなどのお菓子を手渡してくれるなど、スター気分を味わえるのだ。 キングオブコントの準々決勝に進んだだけでこの扱い。もし優勝していたらどうなったか、想像するだけで武者震いしてしまう。 しかし、お笑いの神様ってのは意地悪な性格らしい。 翌年、翌々年のキングオブコントにも意気揚々と出場した結果、さんざんな成績に終わったのだ。まさか、2年連続で1回戦敗退だとは。 これを機に、俺たちを取り巻く環境は、すっかり2018年以前に戻ってしまった。 事務所からは仕事を振られなくなり、ただただライブに出演するだけ。出待ちファンの姿も跡形もなく消え去った。 落胆するタネは尽きないが、最近は若手の台頭も著しく、後輩に抜かれることもかなりツラい。 たとえば、ぺこぱ。彼らとは以前、いろんなインディーズライブで何度か共演したことがあり、その際、先輩面してアドバイスしたことがある。「ネタ始めの30秒はとにかく大事だからもっと強めの笑いをぶっ込んだ方がいいな」
 とか、「もっと衣装を派手にした方が客の印象に残るぜ」 それがどうだ。いまではすっかり売れっ子の仲間入りを果たしているではないか。それに比べて俺たちは…。情けなすぎて、もはや涙も出ない。★ ときどき、なぜ芸人を辞めないのかと聞かれることがある。一度も有名になったことがないのにそのモチベーションはどこから来るのかと。 答えはカンタン。あきらめたらそこですべての可能性が消滅してしまうからだ。 これからも俺は芸人を続けていく。どれだけスベろうが、賞レースで1回戦敗退しようが決して辞めたりしない。だって、俺にはこの道しかないのだから。
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