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私はナンパが好きで、毎日のようにあちらこちらと出かけては、これと見定めた女性に声をかけている。
ナンパである以上、最終的な目的はセックスに持ち込むことで、うまく引っかかったらとりあえずは酒を飲み、散歩がてらキスなどを軽く交わし、頃合を見てラブホテルに向かう。部屋に入ればする
ことは1つ。組んずほぐれつして射精を向かえるのみだ。
これでナンパは完了する。

連絡を取り合い2度3度とセックスに励む人もいるだろうが、私は、ナンパは一期一会、1回こっきりだからこそ楽しくて気持ちのいいものだと考えている。美人との2回目よりは不細工と初めて寝るときの方がうれしい、いわば1回目本意主義者だ。

しかし、1回こっきりと割り切っているにもかかわらず、その思い出を永遠にしまっておきたいという欲望もある。
写真雑誌に投稿しようとか、友人に見せびらかそうなどという意図はない。ただ私は、出会いの記憶を忘れないためだけにこれまで200人余りのヌード写真を撮影してきたのだ。今からもう7年も前のこと。

2年間勤めた会社を辞めてナンバに精を出していた私は、そのうち東京の窮屈さが嫌になってきたため1人でヨーロッパを旅行することにした。
背中に大きなザックを背負ったバックパッカースタイルでぶらぶらしているその些砥竹中、ギリシャ
からトルコへ向かうバスで隣り合わせた若い女性が親しげに話しかけてきた。
「☆△▼□」
「。・・。・・」
語学には疎い私だったが、どうやら彼女はスペイン人で、私と同じように1人でヨーロッパ旅行をしているらしい。
ちょうど私も長い一人旅に少々淋しさを感じていたところだったので、身振り手振りでコミュニケーションを交わし、バスを降りてからも一緒に旅行を続けることになった。旧跡にあまり興味のない私
たちはバザーをひやかしたり、羊の肉に舌鼓を打つたりと、できるだけお金を使わないように町を巡った。
そして知り合って3日目の夜、2人は肉体関係を持つに至る。初めての外国人相手だというのに私に戸惑いの感情は訪れず、むしろ起こるべくして起きた必然のような気がしていた。

そして。トルコという異郷の地、幻想的な光が郷い込むホテルの一室で、私は机に無造作に置いてあ
ったカメラを手にし、彼女の裸体を何枚も何枚も撮影した。生々しい欲望は投影されず、街角の石段
に座って撮ったスナップ写真の延長のような、乾いた空気の中での撮影会だった。
なぜ撮ろうと思ったのか、その理由はよくわからない。
ただ確実に言えるのは、何年も経った現在でも私が彼女のことをしかと覚えているのは、この写真が残っているからこそということだ。写真を見て初めて、あのときの出会いが幻ではなかったことを確認できるのだ。

東京に帰った私は、またナンパ生活に舞い戻った。飲んでホテルに消える稀なパターンは、芸こそないがよく女を落としていき、人数も通算で3桁に届こうとしていた。
ただ、いくらいい女とベッドを共にしても、あのトルコでの一夜と比較すれば、なぜか物足りなさが残ってしまう。
なぜか。私は考えた。そして1つの結論に達する。
「裸を撮っていないからではないか」
実際に現場では楽しんでいたとしても、畳が残っていないためかみくだいて味わい直すことができず、それが淡泊でつまらないセックスだったような印象を残すのではないか。
私はナンパスタイルを変更した。
ある日、女子大生をまんまと居酒屋に連れて行った私は、カバンの中からおもむろに使い捨てカメラを取りだした。
「写真が趣味なんだ」
「へえ」
「撮ってもいい?」
「え、私を」
恥ずかしがる彼女のことなどお構いなしに、私はパシャパシャとシャッターを押し続けた。最初こそ両手で顔を隠していた彼女もそのうち慣れてきたのかレンズに笑顔を向けるようになり、ついには自らポーズまで取ってくる。ところがである。店を出てそのままホテルへ向かおうとする私を彼女は遮ってきたのだ。
「どうしたの?」
「そんな気分じゃないの」
「気分って?」
「なんとなく…」
いつもと異なる展開に私は戸惑った。先まであれほど機嫌の良かった娘が、なぜ急に頑なな態度を取り出したのか。何かマズイことでも言っただろうか。
そこで私は初めて気が付いた。ひょっとしてこのカメラがいけなかったんじゃないかと。
トルコでのヌード撮影は、昼間の旅行中に写真を取り合った関係の延長線上の出来事だと私は考えていた。

そういう意味では、今回もベッドでいきなりカメラを取り出すより、あらかじめ写真への抵抗感をなくさせたほうがいいだろうと判断したのだ。
しかし、それは間違いだった。
ナンバとは男も女も一種の勢いのようなものがなければ成立しない。
私が声をかけたのも彼女がついてきたのもそれは勢いのおかげだ。
その勢いをカメラが殺したのだ。
レンズを向けられると女は、否が応でも自分がどう撮られるのかを意識する。それは自らを客観視す
ることを意味し、我に帰るきっかけともなってしまうのだろう。

鉄則一ナンバの途中で撮影してはいけない
それからの私は、服を着ている状態での撮影をあきらめ、一戦交えてからおもむろにカメラを取り出すようにした。
これなら十分に裸体を撮れるし、断られたところで性交の事実が消えるわけでもない。そして実際、拒まれることはほとんどなかった。
コレクションは日に日に増加し、リフレインを楽しめることによってセックスライフは充実したもの
となっていった。
ただ唯一の不満はハメ撮りがない点だった。一戦交えてからという手法を採っている以上仕方ないとはいえ、陰茎を膣に挿入した状態の、あるいはフェラチオシーンの写真がないのはどうにも物足りない。
そこで私は、次のナンバでハメ撮り写真の撮影にトライしてみることにした。

捕まえたのは武蔵野美術大学に通う女子学生。いつものように難なく居酒屋、ホテルコースをとった私は、一足先にバスルームを出て鞄からカメラを取り出し、枕元に隠すようにして置いた。
少し酔っているのか、彼女はベッドに横たわってもカメラ里仔在に気付かない。そのままカラミヘと移る。
シックスナインの後、無難に正常位で挿入した直後、私は聞いた。
「ねえ、写真撮っていい」
「え..」
OKの返事が出る前に私は腰の動きを止め、枕元の写るんですを手に取りフィルムを巻く。
「こっち向いて」
「。。・・・・」
イヤだとは言っていた。顔を背けようともした。しかし、すでに陰茎を挿入された状態での抵抗に力はなく、それがかえって喜んでいるようにも見える。
正常位、立ちが悪いので再びフェラチオをしてもらい、さらに座位に移っても私はカメラを手放さず、フィルム型枚すべてを使いきった。ハメ撮りに成功したのだ。
しかし、何かがおかしい。なんとも言えぬ虚無感が襲ってくるのだ。要するにセックスが楽しくないのである。腰を振ってはいても、シャッターを押すという異質な動きが入るために集中力が欠け、ただ単にハメ撮りましたというだけで終わってしまった感じなのだ。
私はハメ撮りというものについて深く考えざるをえなかった。はたしてこれはセックスライフを豊
かにするものなのだろうか。
彼女や奥さんが相手ならまだいい。しかし瞬間瞬間にすべてを賭ける一期一会のナンパ思想とは相入れないのではないか。
鉄則二セックスを楽しむにはハメ撮りはあきらめる。
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