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生臭坊主という言葉はあっても淫乱牧師、放蕩神父の慣用句は存在しない。
さほどキリス卜教徒は清く正しいのか?否。神に仕える伝道士となって10年の私が断言しよう。
牧師は女に不自由しないオイシイ職業であると。
日曜は地域の教会で礼捍に参加し、そのまま日曜学校で聖書の話を聞く。何の疑問も持たず神の存在を信じて育ったのである。
ただ、親がキリスト教徒だからといってエスカレーター式に信者になれるわけではない。聖書を信じ、イエスが救い主であると心の底から納得して自ら『信仰告白』を行わない限り一人前のクリスチヤンとは呼ばれないのだ。日曜学校の仲間と争うように出洗礼を受け、正式な教会員=信者となった。
真剣味のかけらもなかった。証拠に、高校になると信者としてのつとめは優先順位の最下位になった。日曜礼拝だけはなんとか顔を出したが、ボランティアなど年に1、2度しか務めない。
【姦淫してはならない】と十戒も破り放題
「先生」夜の礼拝が終わり、後片付けをしているところに1人の女性が駆け込んできた。忘れ物でもしたのかと振り返れば、信徒さんの中でも一際目立つ美人奥さんが、思いつめた顔で佇んでいる。
ただ、いくらなんでも礼拝堂で押し倒すほどの勇気はない。私は彼女を肩を抱いて裏の畑の脇に停めた教会の車へ招き入れ、上に下になり熟れた体を堪能させてもらった。
不思議なことに信徒さんは私が牧師というだけで絶大な信頼を寄せ、簡単に身を任せてくるのだ。狭い田舎、それも同じ教会の信徒同士のこと。
簡単にバレそうなもんだが、そんなへマはしない。もしゥワサにでもなればそれだけで身の破滅。会うときはもちろおん、教会で接触する際も細心の注意を払った。
今思えば彼女たちは私が立場上、ロが堅いこと、そして長くは留まらないことを見越し、恰好のアバンチュールの相手と見なしていたのかもしれない。
翌年、関西の教会へアシスタン卜として赴任。女性関係では語るべき成果はなく1 年を勤め上げると関東の教会を1人で任された。
断る理由もなく見合いをすれば、これが楚々とした美人の上、キリスト教徒の家系に生まれ牧師の生活にも理解がある。控えめなのに芯の強そぅな性格もいい。
しかし、決めては何といっても、エッチの相性の良さだ。もうこの女しかいない。私は彼女にプロポーズし、すぐに結婚。1年後には子供も授かった。信徒さんとも打ち解け信頼を得ている。万事快調、全てが順調に運び出した途端、またゾロ女が寄ってきた。
最初は旦那さんを交通事故で亡くされたシングルマザーの美佐子(仮名) さんだ。母子家庭となって間もない彼女とは、生活の相談に訪れたのがきっかけだった。主はなぜ私にこのような試練をお与えになるのでしょう。
そう言って泣く彼女に、母子家庭手当ての手続きをし、こっそり内職の世話を焼いた。私は牧師として当然のことをしたまでだが、彼女は親身になってくれる私を特別な人間と思ってしまったようだ。「先生、私にはもう女として魅力がないでしょうか」
「ああ、先生!」
しかし、私だけじやない(と思う) 。日本全国に、同様の体験をされてる牧師さんは少なくないはずだ。ただ、誤解のないよう言えば、オイシイ思いをする一方、24時間、プライベートなど皆無に等しく働いているのも事実。給料は信徒さんの献金から本部との話合いで決まった一定額をいただいているが、決して多くはない。実際のとこ、カミさんと子供2人を養うのがやっとだ。私は今後も誠心誠意キリスト教の宣教に身を投じる覚悟である。主ょ、この私をお許しください。